信じるという力 episode3

いつものように大学に行くと、はらボーがメガネをかけています。

「あれ?はらボー近眼やった?」

「ちょっとね…。」

あれ?・・・あっ!もしかして…。

そのもしかしてが現実になってしまった事を

僕は悟りました。

腫瘍が視神経を圧迫してついに、はらボーの

視力までも奪い始めたのです。

 

はらボーは何事も無いようにいつも通り元気

で明るく振る舞っていました。

その姿を見て僕はやるせなく、かと言ってどうしてやる事も出来ない自分がもどかしくてしょうがなかったです。

 

そんな僕の気持ちとは裏腹にはらボーの病状は

進行し、夜にも痛みで何回も目が覚めるような状況まで悪化していきました…。

 

はらボーは決意しました。

京都を離れ実家(九州)へ帰り、治療に専念することを…。

 

episode4へ続く

 

 

 

 

 

 

 

信じるという「力」episode2

京都に戻り、いつもと変わらない日常の生活が始まります。

たった一つ、はらボーの病魔の進行を除いて

は…。

 

普段のはらボーはとても明るくて優しく、

人見知りもしない為、みんなから愛される

キャラ。

芯はしっかりしていて、見た目からは想像はつかないですが、男勝りで弱音など吐かない前向きな性格でした。

 

ある日真夜中に電話が鳴ります。

 

「もしもし」

「……。」

「もしもし?」

「……。」

「はらボーか?どうした?」

「……。」

「大丈夫か?」

「頭の中で象が暴れてる…。」

腫瘍が脳のあちこちの神経を圧迫して、頭が割れるような痛みがはらボーを襲うようになって

きたのです。

「寝たら明日、起きられないような気がする」 

 

普段のはらボーならまずそんな事人には言わない子です。そんなはらボーが今、弱々しい声で不安を口にしているのです…。

 

「大丈夫や、はらボー。寝られるまで電話 

 切らずに待っとくから…。」

そうは言っても、何と言っていいかわからず

ただただ、

「大丈夫、はらボー。大丈夫、はらボーやで

 ・・・」

といつもと同じ言葉を繰り返す私。

本来なら、側に居てあげるのが良いのでしょうが、当時僕には彼女がいました。

 

彼女には、はらボーの病気の事全てを話し、残り少ないはらボーの時間、出来る限り力になってあげたいと話し、理解してもらいました…。

というよりは今考えてみると我慢してもらっていたのだと思います。

 

というのも、episode1で触れましたが、はらボーとは僕にも理屈では説明出来ない身内のような感覚があり、その距離感は彼女からすると、とても複雑な思いはあったと思いますので…。

今でも彼女の精一杯の優しさには感謝しています。

 

暫くすると電話の向こうからはらボーの返答が無くなります。

「はらボー、大丈夫か?はらボー!」

「スー…。スー…。zzz…。」

「・・・。」

どうやら…安心して寝ることが出来たようです。 

はらボーが無事寝られた事を確認すると

何故だか涙が溢れてきました。

「なんで、なんで…。神様はなんでこんないい

 やつにこんな辛い思いさせるんや?

 なんでや!なんでや!なんでや…。」

怒りというよりやるせなさ、自分の無力さを

思い知らされました。

それまでの僕はどちらかというと、唯物論者。

神頼みなどはほとんどしない類の人間。

 

そんな僕がその時初めてと言ってもいいかもしれません。心から神様にお願いしたのは…。

「神様どうかはらボーを助けてあげてくだ

 さい。もし僕の命分けれるのなら、少し

 でもはらボーに分けてあげてください。

 お願いですから、はらボーをもう少し生き 

 させてあげてください。」

そんなお願いをしたのは後にも先にもこの時だけです。というより、その時の僕にはそれくらいのことしか出来なかった…。というのが正しいのかもしれません。

 

ただ、ちっぽけな僕の願いは虚しく、はらボーの病状はさらにはらボーを苦しめることになります…。

 

episode3へ続く・・・

 

 

 

 

 

 

 

信じるという「力」エピローグ・・episode1

今を遡ること33年前。

大学の音楽サークルの合宿先、小豆島の

砂浜での出来事。

同級のK子ちゃんに

「ちょっと話があるからいい?」

と僕は砂浜に呼び出されました。

 

当時、サークル内同級生のK子ちゃん(あだ名ははらボー。この先はらボーと称させていただきます)とは最初に会った時から何故かウマがあい、男女の性別を超えた身内のような感覚がある不思議な存在。

担当パートが同じドラムという事も手伝って、すぐに何でも話し合える親友のような間柄にな

っていました。

 

丁度その時はらボーは失恋したばかりの時期。

てっきりその話だろうな。と思って、

「どうした?」

「・・・。」

「ん?どうした?」

「・・・このままだと持ってあと1年ってお医者さんに言われた。」

「えっ?えっ?」

「脳に腫瘍が出来てて場所が悪いから手術

 で取り除く事は出来ないって…。で、この

 ままだと持ってあと1年とお医者さんから

 言われた…。」

「………。」

 

あなたならどうします?

ドラマでしか聞いたことないような言葉を目の前で言われたら…。

その時僕は何を思ったのか、

「はらボー、おんぶしたるからおぶされ」

と言い、はらボーをおんぶしてひたすら夜の砂浜を歩きました。

「はらボー、大丈夫や。はらボー、大丈夫や

  ・・・。」

と呟きながら…。

どれくらい歩いたか。

はらボーが

「ありがとう。もう大丈夫。」

と呟き、僕ははらボーをおろして、

「何かあったらいつでも連絡しておいで。

  大丈夫。はらボーなら大丈夫。」

今にも泣き出しそうなはらボーの頭をポンポン

しながら…。

その後、何事もなかったように合宿は終わり、

いつもの京都での大学生活が始まります…。

 

皆さんはじめまして。

まっちゃんと言います。

 

人には大なり小なりただの偶然ではなく、

「奇跡」としか思えない、理屈では説明できないような体験をしたことがあるのではないでしょうか。

そして、その体験がその後の人生に大きな影響

を与えたり、人によっては生きる支えになるようなこともあるのかと思います。

 

冒頭のエピソードは実際に僕が体験した

「奇跡」の始まりの一部です。

この後、正に僕は「奇跡」を目の当たりにする

事になり、その体験は今でも僕の人生の根っこで息づいています。

僕も今年で52歳を迎え、残りの人生を考える

ような年齢になりました。

コロナ、ウクライナ問題、世界的な物価高など、不安な出来事が頻発している中、僕のようなごくごく普通の人間でも前向きに生きていける原点になった「奇跡体験」。

その体験がほんの少しでも誰かのお役に立てるような事があればと思い、ブログを立ち上げてみました。

 

次回よりは、京都に戻ってからの出来事を引き続き投稿していこうと思います。

よろしければお付き合いください。